鯨類の化学物質リスクを評価する新たな予測モデルを開発
細胞実験のデータと化学物質の細胞内分布モデルを用いたスナメリのリスク影響評価
【研究のポイント】
・スナメリの血液・皮下脂肪および細胞実験の培養液中のタンパク質・脂質含有量に基づき、残留性有機汚染物質(POPs)の細胞内分布モデルを構築した。
・毒性評価の鍵となる「遊離溶解濃度(タンパク質や脂質に結合していないフリーの濃度)」は、細胞実験と実際の体内の双方で、見かけの濃度や実測全濃度に比べて2〜8桁も低いことが判明した。
・細胞実験の結果から、実際の体内のリスクを算出する予測手法を用いて解析した結果、現在のPOPs蓄積量が、スナメリの細胞生存率低下や細胞死(アポトーシス)を誘発するリスクは低いことが示された。
【研究の概要】
海洋生態系の頂点に位置する鯨類は、高濃度の残留性有機汚染物質(POPs)を蓄積するが、生きた動物を用いた実験が不可能なため、その健康影響の定量的評価は困難であった。本研究では、スナメリの培養細胞を用いた実験データを実際の生体レベルに換算する「細胞−生体間の影響予測モデル」を開発した。血液、皮下脂肪、および培養細胞培地中の成分を実測して物質分布モデルを構築し、実際の毒性に関与する「遊離溶解濃度(フリーの化学物質濃度)」を算出した。その結果、この濃度は実測される全濃度より著しく低く、現在のPOPs曝露レベルではスナメリに対する細胞生存率の低下や細胞死誘発のリスクは低いことが明らかになった。本手法は、倫理的制約のある海棲哺乳類の精緻なリスク評価基盤となることが期待できる。
【背景】
海洋生態系の高次に位置する鯨類は、残留性有機汚染物質(POPs)を体内に高濃度で蓄積する。しかし、倫理的制約から生きた動物を用いた毒性試験は不可能であり、培養細胞を用いた実験(細胞実験)の結果をどのように「実際の生体のリスク評価」に結びつけるかが長年の課題であった。従来は、細胞実験の「見かけの濃度」と、実際の生体内の「実測全濃度」を直接比較していたが、この手法では生体内のタンパク質や脂質への吸着が考慮されないため、不確実性が高いという問題があった。
【研究の手法】
本研究はスナメリを対象種とし、実際の毒性発現に直接関与する「遊離溶解濃度(タンパク質や脂質に結合していないフリーの化学物質濃度)」を指標として、細胞実験の結果から実際の生体内の影響を定量的に予測するアプローチを導入した。スナメリの血液と皮下脂肪、および細胞実験に用いた培地のタンパク質・脂質含有量を実測し、15種類のPOPsを対象とした物質分布モデルを構築した。
【研究の結果】
物質分布モデリングの結果、培地中、血液中、皮下脂肪中におけるPOPsの遊離溶解濃度は、見かけの濃度や実測全濃度と比較してそれぞれ2〜3桁、4〜6桁、6〜8桁も低いことが明らかになった。この遊離溶解濃度を基準として、実際の生体内のばく露濃度と細胞実験における影響濃度を比較する「リスク予測比」を算出した。その結果、現在の環境レベルにおけるPOPsの混合ばく露が、細胞生存率を低下させたり、細胞死(アポトーシス)を誘発したりするリスクは低いことが示された。
【今後の展望】
物質分布モデルと遊離溶解濃度に基づくこの予測アプローチは、鯨類における化学物質の現実的かつメカニズムに基づいたリスク評価を可能にする。今後は、本フレームワークに内分泌撹乱作用や免疫毒性などの慢性的な影響を組み込むことで、より包括的な健康リスク評価への応用が期待される。
論文情報
Quantitative in Vitro to in Vivo Extrapolation (QIVIVE) for Risk Assessment of Persistent Organic Pollutant Mixtures in Cetaceans,
Islem Boukara, Satoshi Endo, Mari Ochiai, Luise Henneberger, Beate I. Escher, and Hisato Iwata,
Environmental Science & Technology,
doi:10.1021/acs.est.5c13935, 2026 (March 9).
助成金等
- MEXT LaMer project
- JSPS科研費19H01150, 24H00753, 25K03273
図表等
問い合わせ先
氏名 : 岩田 久人
電話 : 089-927-8172
E-mail : iwata.hisato.mz@ehime-u.ac.jp
所属 : 愛媛大学先端研究院沿岸環境科学研究センター

