クジラの神経で環境汚染物質の毒性を知る

座礁したクジラの組織から直接分化誘導した神経細胞を使って脳の健康状態を評価する

愛媛大学沿岸環境科学研究センター(CMES)の研究チームは、カズハゴンドウ(Peponocephala electra)の体細胞を神経細胞へ直接分化誘導することに初めて成功しました。環境汚染物質の一種であるポリ塩化ビフェニル(PCBs)の代謝物(4’OH-CB72)をこの誘導神経細胞に曝露した結果、能動的な細胞死(アポトーシス)が観察されました。 4’OH-CB72を曝露したクジラ誘導神経細胞の転写産物(トランスクリプトーム)を網羅的に解析したところ、酸化的リン酸化・クロマチン分解・軸索輸送、および神経変性疾患に関連する遺伝子の発現量が変化していることがわかりました。本研究の結果は、2021年6月1日にアメリカ化学会の学会誌Environmental Science & Technologyに掲載されました。

鯨類の体内には、環境汚染物質が高蓄積しています。野生鯨類の試料採集は日和見的であり、侵襲的な方法での採集は法的・倫理的な制約があるため、鯨類の毒性学的研究は困難です。実験動物を用いた研究では多くのデータが得られますが、化学物質への曝露に対する感受性には大きな種差があることから、これらデータから鯨類への影響を予測するには限界があります。さらに培養できる鯨類の細胞の種類は限られており、細胞特異的な試験法はほとんど開発されてきませんでした。愛媛大学沿岸環境科学研究センター(CMES)の研究チームは、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を介さずに、低分子化合物の混合液を使用して、座礁したカズハゴンドウ(Peponocephala electra)の線維芽細胞から神経細胞へ直接分化誘導することに成功しました。さらに、クジラの誘導神経細胞を用いて、環境汚染物質の神経毒性を初めて調査しました。

線維芽細胞から神経細胞へのダイレクトリプログラミング

研究チームは、2015年に茨城県鉾田市の海岸に集団座礁したカズハゴンドウから組織を入手し、線維芽細胞を培養しました。低分子化合物の混合液で数週間処理した後、線維芽細胞は神経細胞様に形態が変化しました。この細胞は、神経細胞マーカータンパク質(beta-III tubulinTuj-1およびmicrotubule associated protein 2MAP2)を対象とした免疫染色で陽性反応を示し、アストロサイトとオリゴデンドロサイトのマーカータンパク質(glial fibrillary acidic proteinGFAPおよび2,3-cyclic nucleotide 3-phosphodiesteraseCNPase)に対して陰性反応を示したことから、誘導神経細胞(iNCs)であると判定しました。加えて、iNCsの遺伝子発現解析によっても、線維芽細胞関連遺伝子であるエラスチン(ELN)の発現量の低下と、神経関連遺伝子であるシナプトフィジン(SYP)やスタミン 3STMN3)の発現量の増加が認められ、線維芽細胞から神経細胞への直接的な分化誘導が裏付けられました。

アポトーシス試験

能動的な細胞死(アポトーシス)は、TUNELアッセイによって核クロマチンの断片化を検出することで測定されました。ポリ塩化ビフェニル(PCBs)の代謝物である4’OH-CB7220μM)への24時間の曝露後に、クジラiNCs80%以上がアポトーシスを引き起こし、アポトーシス陽性細胞は溶媒対照と比較して1.82.4倍増加しました。

4OH-CB72に曝露したクジラ誘導神経細胞の遺伝子発現解析

転写産物(トランスクリプトーム)を網羅的に解析することにより、クジラiNCsのアポトーシスに関連する遺伝子の発現量が増加することがわかりました。アポトーシスに関連する遺伝子群のなかでも、アポトーシス誘導因子1AIFM1)、BH3共役ドメイン死アゴニスト(BID)、腫瘍壊死因子受容体関連因子2TRAF2)などの発現量が増加していました。一方、細胞の生存に関わる遺伝子群の発現量は減少していました。さらに4’OH-CB72に曝露したクジラiNCsで、アルツハイマー病・筋萎縮性側索硬化症・ハンチントン病など、神経変性疾患に関与する多くの遺伝子の発現量が変化しました。

バイオインフォマティクス解析の結果、4OH-CB72のクジラiNCsへの曝露により、ミトコンドリア機能障害・クロマチン分解・軸索輸送、およびユビキチン-プロテアソームシステムの細胞シグナル伝達経路の撹乱が示唆されました。これらのシグナル伝達経路への影響は、最終的には神経細胞のアポトーシスを介して神経変性を引き起こすと予想されました。

今後の展望

鯨類は、4’OH-CB72だけでなく、PCBsを含む様々な環境汚染物質に慢性的に曝露されているため、これら汚染物質の神経毒性も懸念されます。本研究で開発した、体細胞から神経細胞へ直接分化誘導する方法は、神経毒性試験法が開発されていない他の海棲哺乳類への応用も期待されます。

参考 URL:https://doi.org/10.1021/acs.est.1c01074

論文情報

Directly reprogrammed neurons as a tool to assess neurotoxicity of the contaminant 4-hydroxy-2’,3,5,5’-tetrachlorobiphenyl (4’OH-CB72) in melon-headed whales, Mari Ochiai, Hoa Thanh Nguyen, Nozomi Kurihara, Masashi Hirano, Yuko Tajima, Tadasu K. Yamada, and Hisato Iwata, Environmental Science & Technology, 2021, 55 (12), 8159-8168. Doi: 10.1021/acs.est.1c01074, 2021 (June 1).

助成金等

  • JSPS 科研費 若手研究18K18201
  • JSPS 科研費 基盤研究(S)26220103
  • JSPS 科研費 基盤研究(A)19H01150
  • 住友財団 環境研究助成163341
  • 文部科学省 共同利用・共同研究拠点「化学汚染・沿岸環境研究拠点 (LaMer)」

図表等

  • クジラ誘導神経細胞にPCB代謝物を曝露することによってアポトーシスと神経変性が誘発

    クジラ誘導神経細胞にPCB代謝物を曝露することによってアポトーシスと神経変性が誘発

    クジラ誘導神経細胞にPCB代謝物を曝露することによってアポトーシスと神経変性が誘発

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